鳥取砂丘の歴史
西暦 | 年号 | 出来事 |
1921 | 大正10 | ●県が史跡名勝天然記念物調査委員会を設置、県内の遺跡調査に乗り出す。 |
1933 | 昭和8 | ●3月 県は砂丘を天然記念物に指定しようと文部省に申請。国の天然記念物調査委員の現地調査も行われたが、陸軍演習地だったため指定されなかった。 |
1946 | 昭和21 | ●湯山池の干拓工事に際して砂丘台地の採砂中、多量の土器・石器出土。直浪遺跡が発見される。 |
1950 | 昭和25 | ●8月 鳥取市議会は浜坂、賀露、湖山の砂丘(約567ヘクタール)を国から払い下げてもらい植林することを可決。 |
1951 | 昭和26 | ●4月 県は浜坂、湖山、福部の砂丘約1,250ヘクタールを本格的に植林することを決定。 |
1951 | 昭和26 | ●9月 鳥取市と鳥取大学は砂丘を半分ずつ国から譲渡してもらうことで合意。12月に砂丘地分割の覚書を交換。 |
1952 | 昭和27 | ●7月 砂丘の植林地が森林法により保安施設地区(将来の保安林)に指定された。 |
1953 | 昭和28 | ●3月 鳥取砂丘など全国25万ヘクタールを対象とした海岸砂地地帯農業振興臨時措置法が施行される。 |
1953 | 昭和28 | ●8月 鳥取市は「砂丘の文化財保護申請はしない」との方針を決めた。砂丘の全面緑化を打ち出す。 |
1954 | 昭和29 | ●2月 鳥取市長、市教委、浜坂地区の三者の間で、砂丘の長者ヶ庭、合せヶ谷スリバチ、追後スリバチを中心に文化財指定することで合意。市は、これら3ヶ所を中心とした半径100メートル部分(約9ヘクタール)は植林しないようにと県に対し要請、認められる。 |
1954 | 昭和29 | ●3月 山陰海岸の国立公園指定に関して、厚生省は砂丘を公園に含めることは難しいと鳥取市に連絡。指定には少なくとも100ヘクタール以上の砂丘が必要とした。 |
1954 | 昭和29 | ●7月 鳥取市教委の文化財指定申請を受け、県教委は砂丘約30ヘクタールについて文化財指定の申請をした。 |
1955 | 昭和30 | ●2月 長者ヶ庭、合せヶ谷スリバチ、追後スリバチを結ぶ三角地帯(約30ヘクタール)の天然記念物指定が告示される。 |
1955 | 昭和30 | ●6月 「山陰海岸国定公園」が正式に指定される。 |
1956 | 昭和31 | ●1月28日 鳥取市は天然記念物区域の拡大を申請することになり、県や浜坂地区、県文化財専門委員らを交えて、砂丘で立ち会い調査をした。浜坂地区の反対で拡大区域の合意には至らず。 |
1956 | 昭和31 | ●12月 県教委は県文化財専門委員会の建議に基づき、文化財保護委員会に善処を要望。 |
1957 | 昭和32 | ●4月 県観光総合審議会が開かれ、砂丘での植林計画の見直しをはかり県観光課内に観光砂丘開発委員会を設置することになった。 |
1957 | 昭和32 | ●6月20日 国の文化財専門審議会が天然記念物を約162ヘクタールに拡大する答申を文化財保護委員会に提出、翌月にも正式指定されることになった。この後、鳥取市長、浜坂地区から反対があったため、県は指定の保留を文化財保護委員会に要請。 |
1957 | 昭和32 | ●8月 鳥取市は植林地を除く104ヘクタール(既指定を含む)を拡大指定する意見書を文化財保護委員会に提出。 |
1957 | 昭和32 | ●9月 遠藤知事が上京し文化財保護委員長と協議、指定拡大の面積を修正して改めて申請することになった。 |
1962 | 昭和37 | ●7月 砂丘の天然記念物を113ヘクタールに拡大する指定が告示された。 |
1963 | 昭和38 | ●2月 鳥取商工会議所が植林地の伐採を促進するよう県議会に陳情。 |
1963 | 昭和38 | ●7月15日 山陰海岸国定公園の国立公園昇格が厚生大臣から告示される。鳥取市はさっそく標柱4本を立てポスター500枚を全国に発送。また、天然記念物区域の113ヘクタールが特別保護地区に指定された。 |
1963 | 昭和38 | ●7月 鳥取市観光協会は、鳥取市と浜坂地区との土地契約を解除して砂丘を保護するよう市議会に請願書を提出。 |
1963 | 昭和38 | ●7月30日 県と鳥取市、福部村が協議、鳥取砂丘の管理団体を鳥取市と福部村に決めた。 |
1965 | 昭和40 | ●11月 鳥取市観光協会と鳥取商工会議所などが鳥取砂丘対策協議会を発足。12月、県知事、鳥取市長に植林地伐採(34ヘクタール)を陳情。 |
1967 | 昭和42 | ●2月 浜坂地区は市観光協会が63年7月に市議会に提出した請願に反対する陳情書を提出。 |
1967 | 昭和42 | ●3月1日 砂丘対策協議会が伐採問題について協議、市観光協会の請願と浜坂地区の陳情をともに取り下げて話し合いで解決することで合意。 |
1967 | 昭和42 | ●9月 鳥取市は浜坂地区に対し、砂丘西側に集団施設地区を新たに設けて、そこでの営業権を浜坂地区に認める、その代わりに保安林を伐採してもらいたいと提案する。 |
1968 | 昭和43 | ●3月1日 鳥取市は浜坂地区に対し、1.伐木面積は34ヘクタール、2.集団施設地区は15.1ヘクタール、3.旧砲台を市が復元する、4.柳茶屋の国有地(5.8ヘクタール)を払い下げるなど、伐採の条件を示す。 |
1971 | 昭和46 | ●5月 鳥取市と浜坂地区との間で伐木についての基本的な了解が成立。7月に最終合意に達する。 |
1971 | 昭和46 | ●10月 鳥取市が保安林約17ヘクタールの解除を県知事に申請。 |
1971 | 昭和46 | ●11月 市の保安林解除申請に対して、県は林野庁の意向に沿って、市の計画より約2ヘクタール縮小した14.97ヘクタールを二度に分けて解除する方針を示した。 |
1971 | 昭和46 | ●12月 林野庁は1.0.83ヘクタールの代替植樹を行う、2.第1期分として6.38ヘクタールを解除した後、飛砂状況をみて第2期分8.58ヘクタールを解除する、という条件をつけて、保安林解除を正式に承認する。 |
1972 | 昭和47 | ●10月 鳥取市が保安林解除地(第1期分)の本格的な伐採を始める。翌月に終了。 |
1974 | 昭和49 | ●3月 鳥取市が保安林解除地(第2期分)の伐採を始める。同月内に終了。 |
1975 | 昭和50 | ●8月 鳥取市は保安林伐採跡地に発生したニセアカシアなどを除去。 |
1976 | 昭和51 | ●10月 鳥取市観光協会が植林地除去の早期実現を知事に陳情。 |
1977 | 昭和52 | ●9月13日 鳥取商工会議所、市自治連合会、鳥取文化財協会、鳥取市観光協会が植林地除去や砂丘の復元について市長や市議会に陳情する。 |
1977 | 昭和52 | ●9月 鳥取市は関係機関の代表者や有識者からなる鳥取砂丘対策懇談会を発足させた。翌月、専門委員会も設けた。 |
1977 | 昭和52 | ●10月 鳥取市長と市自治連合会、商工会議所、市観光協会の代表者が植林地除去について知事に陳情。 |
1978 | 昭和53 | ●7月 天然記念物の指定拡大が告知され、146.2ヘクタールになった(既指定の113.0ヘクタールを含む)。 |
1978 | 昭和53 | ●10月 鳥取市は天然記念物鳥取砂丘調査委員会(委員7人)を設置、植林の影響や伐採などについて調査が始められる。 |
1980 | 昭和55 | ●3月 天然記念物鳥取砂丘調査委員会が天然記念物に指定された保安林約18ヘクタールの伐採を提言。 |
1980 | 昭和55 | ●4月 鳥取砂丘一斉清掃実行委員会結成。一般市民も含む1,200人が清掃に参加。 |
1982 | 昭和57 | ●12月 鳥取市が17.3ヘクタールの伐採を始める。 |
1985 | 昭和60 | ●11月 鳥取青年会議所や市観光協会などが鳥取市砂丘観光開発研究会を設立。翌年に砂丘西側の開発促進を提言。 |
1986 | 昭和61 | ●4月 市内の自然保護団体が伐採跡地で草抜きを行う。 |
1987 | 昭和62 | ●7月 鳥取市は雑草除去のため伐採跡地の約17ヘクタールで除草剤を散布。 |
1988 | 昭和63 | ●4月 鳥取砂丘調査会が伐採後5年間行った調査結果を発表。伐採の効果があったと結論。 |
1989 | 平成元 | ●7月 山陰海岸国立公園協会の総会で観光業者らが草原化対策として除草の許可を県に迫った。 |
1990 | 平成2 | ●4月 国立公園特別保護地区が131ヘクタールに拡大される。 |
1990 | 平成2 | ●9月 鳥取青年会議所を中心に「鳥取砂丘砂かけフォーラム」が発足。 |
1990 | 平成2 | ●9月 環境庁が砂丘現況調査会を発足、草原化の調査を始める。 |
1991 | 平成3 | ●4月 環境庁は学術専門家からなる「鳥取砂丘保全協議会」を発足させ、3ヵ年計画で除草実験・砂の移動・植生回復等の調査開始。 |
1991 | 平成3 | ●8月 鳥取青年会議所と「砂かけフォーラム」が、市民に呼びかけて砂丘で「草抜きの集い」を開催。 |
1994 | 平成6 | ●4月 県、鳥取市、福部村からなる「鳥取砂丘景観管理協議会」(現鳥取砂丘景観保全協議会)を設立し、本格的に除草作業を開始。 |
2004 | 平成16 | ●鳥取砂丘景観保全協議会がボランティア除草を開始。 |
2007 | 平成19 | ●鳥取砂丘景観保全協議会がアダプト除草を本格導入。 |
2008 | 平成20 | ●10月 「日本一の鳥取砂丘を守り育てる条例」の制定。 |
2009 | 平成21 | ●1月 鳥取砂丘再生会議が設立(全体会、保全再生部会、利活用部会)。 ●4月 「日本一の鳥取砂丘を守り育てる条例」の施行とともに、鳥取県生活環境部砂丘事務所が設置され、5人の鳥取砂丘レンジャーが巡視活動やガイドを開始。 |
2018 | 平成30 | ●10月 山陰海岸国立公園鳥取砂丘ビジターセンターが開館 ●11月 鳥取砂丘未来会議が設立 |
昭和29年11月21日 日本海新聞掲載 | 昭和38年7月11日 日本海新聞掲載 |
昭和46年7月24日 日本海新聞掲載 | 昭和49年3月8日 日本海新聞掲載 |
昭和55年4月21日 日本海新聞掲載 | 平成3年8月26日 日本海新聞掲載 |
平成21年4月2日 日本海新聞掲載 |
平成3年までのデータの出典:山陰海岸国立公園 新・美しい自然公園13 鳥取砂丘(財団法人 自然公園美化管理財団)