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当講座の内容は、日本砂丘学会様よりご提供いただいた「市民公開講座」(平成 9年〜12年)テキストの内容を掲載しております。
掲載をご承諾いただきました 諸先生方に謝意を表します。 |
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乾燥地の樹木-サヘルの木と人-
鳥取大学農学部 古川 郁夫
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(財)大阪国際交流センターが主催するグリーンサヘル96のミッションは、1996年8月22日からセネガル共和国ティエス市の郊外にあるタワ・ファル村に入った。ミッションのメンバーは現地で行われている砂漠緑化プロジェクト活動に参加するとともに地域住民との交流を通してサヘルを体験した。ここでは、サヘルの木を通して感じたことや思ったことを少し紹介してみたい。
- 生命の木、バオバブ
サン・テグジュベリが書いた童話「星の王子さま」にはバオバブが登場する。この樹の不思議な生命力には強く惹かれるものがある。偶然にもティエスの近くにはバオバブの巨木林が幾つもあった。初めてそれを見た時、その堂々とした存在感に感動を覚えた。太く立派な幹、奇妙な枝振り、純白の大きな花、プラーンと垂れた実、手を開いたようにくっきりとした葉。どれ一つをとっても、これまで見てきた樹とは違っていた。村でいる間に、この樹についていろいろなことを知った。樹皮はロープや篭に編まれ、実と葉は食用となり、枝は燃料に、灰は肥料に使う。大きな樹だと百年以上もたち、材は柔らかく、内部が空洞になり易いので、そこには亡くなった村人を埋めるのだそうだ。村人にとってバオバブは万能の樹であり、神聖な樹だ。バオバブの巨木林のあるところは、かつて集落があったところであり、その村が無くなった今も、バオバブの林には鎮守の森にも似た厳かな雰囲気が漂っていた。バオバブは単なる樹木というより、生命のシンボルのような樹であった。ちなみにバオバブはセネガルの国樹でもある。
- ミラクルツリーとの混農林
混農林とはアグロフォレストリーのことだ。これは樹木と作物の持ちつ持たれつの生態的関係を利用した農業の一様態である。ティエス州は首都ダカールに比較的近いため混農林がよく発達していた。混農林の主役であるミラクルツリーと呼ばれる豆科の高木、アカシア・アルビダは不思議な樹だ。雨期の8月にこの樹を見た時、この樹はまるで枯れ木同然であった。
そこがミラクルなのであって、この樹は雨期には全く葉を付けず、乾期になって初めて開葉する。アルビダ疎林の間に耕作された畑には、ミレット、ピーナッツ、キャッサバなどが植わっていた。これらの作物の成長は極めて悪く(96年は雨期が遅れたせいもあるが)、ミレットは膝あたりまで、ピーナッツはまだ地面にへばりついていた。この程度の作付けで、8ヵ月もの長い乾期を人も家畜も生き延びなければならないのかと思った時、食糧飢饉ということが現実味をもって感ぜられた。
- 食糧事情管見
アカシア・アルビダの混農林を車で走り抜けていく途中、牛や羊の白骨が散らばっているのを何度か見た。どうしたのかと思っていた時に、たまたま草原に放たれた牛の一群が目に入った。牛達の姿を見て驚いた。尻骨は突き出し、ガリガリに痩せていた。これでも雨期なのでまだ肥えているのだと聞かされて、二度びっくりした。牛の姿はこの地の食糧事情の深刻さを物語っていた。飢えに耐えきれなくなった家畜が外に出ても、乾期に口にできる物などある筈が無く、行き倒れとなったのであろう。例のミラクルツリーは葉を付けているが、葉の付根から頑丈な長い刺が出ているので、とうてい口にすることはできないだろう。大事な家畜ですらこの状態だから、他は推して知るべし。村民も痩せていた。
- 砂漠化は始まっていた
このあたりの年間降水量は日本の四分の一程度だ。その雨も6、7、8月の3カ月に集中し、降る量も年によって大きく変動する。丁度、私達が村に行った時からこの年の雨期が始まった。地平線から雲が押し寄せ、風が起こり、雷鳴が轟き、稲妻が光ったと思うと、バラバラと来て、ザアーザアーと降り出す。雨はまるでスコールだ。急いで避難しないといけない。
降っている間は、一時的にしろ、気温はグーンと下がる。肌寒く、この時ばかりは、大人も子供も衣類にくるまって雨の過ぎるのを待つ。雨は1時間と続かない。このような激しい雨が植被の少ない地表面を侵食し始めていた。砂漠化の第一歩だ。また、雨上りの草叢には牛や山羊が一斉に放たれる。雨期だというのに、草ははとんど無く、赤土の地面が剥き出しになっていた。場所によっては砂が吹き溜り、砂丘ができたところもあった。砂漠化はすでに始まっていた。
これと対照的なのが都市部だ。都市だから水が多いのか、水が多かったから都市になったのか、そのあたりは判らないが、都市には緑が多い。ティエスでも、タカールでも、市街地にはインドセンダンやアフリカンマホガニーの見事な並木があった。ホテルの周りも蒼々と大きな樹木が茂っていた。ホテルの窓から眺める限り、ここがサヘルの一角であることなどとても信じられない。しかし、街から一歩郊外に出ると、そこはもう井戸と天水に頼る生活しかない。村でも大きな樹があるのは井戸の周りだけだった。あとはアカシア・アルビダを始め、幾種類かの乾燥地に特有の植物があるだけだ。利用できる環境資源(水、土、緑)は限られている。この資源の管理を一歩誤ると、たちどころに砂漠化は拡大し、飢饉が襲いかかるであろう。サヘルの環境保全を考える時、そこがまた生活の場であることも忘れてはならない。
- 植林活動
地域の環境保全と住民の生活改善のために、サヘル地域には日本・セネガル両政府の援助のもとで砂漠緑化プロジェクトが展開されている。我々のミッションも、過去8年間に亙ってNGOの立場からこのプロジェクトを推進してきた。今回も、村民私有の約1haの畑地に、燃料用のユーカリを約1000本と混農林用のマンゴーを約90本、さらにこれらの境界にギンネムを約200本植えた。植林した畑地を家畜から守るための有毒樹サランの生け垣はすでに出来ていた。雨期の終わるのを待って、生け垣沿いに有刺鉄線の柵も設けるとのことだった。
この程度の植林活動で砂漠化が果たして防げるのだろうか、と疑問に思う人も多いようだ。砂漠化の原因には気候と人間活動の両方がある。砂漠緑化はただ樹を植えればいいというものではない。何のために樹を植えるのかということが重要だ。この地域では、生えている樹を伐って使うことはあっても、使うために樹を植えるという習慣はなかった。そもそも「植林」という考えがなかった。1965年になって初めてセネガル政府は植林事業に着手したが、政府主導型の大型植林事業はことごとく失敗した。それは。せっかく植えた木を村民は使うだけで、育てることをしなかったからだ。そこで、政府は方針を変えた。村民に必要な樹は村民自身に植えさせ、守らせ、それを使わせることにした。この結果、政府による大規模造林事業は影を潜め、代わって村の事情に合った小規模造林が主流となった。ティエス市の周辺地域は混農林に適していることが分かっているので、ミッションの植林活動でも、混農林形成に適した樹種を村人と一緒に植えた。それが燃料用のユーカリであり、換金性のあるマンゴーだ。マンゴー林にはいずれミレットやキャッサバやピーナツが植えられるであろう。
こうして今後、サヘル地域において自分が使う木を自分で生産できるようになれば、それだけ天然の木を使うのが減り、結果的にこの地域の自然に対する人間の干渉が緩和される。こうして本来の自然が徐徐に回復し、その結果砂漠化の進展が抑えられるのである。小規模造林は一見まわりくどい方法のように見えるがこれがベストな方法であろう。
- 過去の植林地
滞在中91年、94年、95年のミッションが植林した村々を見て廻った。91年の植林地にはユーカリが植えてあった。ここは、バスから通りすがりに見ただけだったが、樹高5〜6m、幹の大きさは握りこぶし大で、比較的良好な初期成長を示していた。しかしセネガル滞在中に見た多くの、古いユーカリ造林地では成績不良のものが目立った。樹種転換を考える時期にきていると思った。セネガル政府はユーカリの大規模造林を88年以降中止しているとも聞く。94年、95年の植林地は、いずれも垣根用のアカシア・オロー、ギンネムあるいはプロソピスがよく成長していた。94年植林地では防風林に囲まれてキャッサバが大きく成長し、植林木が耕地をよく保全していた。植林地の周りの有刺鉄線も鉄製のしっかりとした杭に固定され、村民の管理意識の高いことが窺われた。95年の植林地は、ほとんど利用されておらず、植えた木も山羊に食われてしまい、柵をなんとかして欲しいという要望が出ただけだった。立派な貯水槽まで持っていながら、自分で農業をなんとかしようという意識が低いように感じられた。聞くと、村の男の大半が都市部に出稼ぎに行くとのこと。都市周辺の村では農業の空洞化がすでに起こっているようだ。植林が成功するかどうかは村民の農業に対する意識如何にかかっている。
- サヘルに生きる
タワ・ファル村はサヘル地帯の一部であり、砂漠化の危機に瀕しているのも事実だ。作物も樹木も生育は良くない。ここで生きることは決して生易しいものではない。村民は極めて簡素な家に住み、簡素な食事と、生きるに必要最小限のモノで暮らしていた。それでも、彼等は逞しく、辛抱強く生きていた。ここに来て改めて思ったことがある。人間は本来この程度のモノで生きることができるのだ。振り返って、私達は何と無駄の多い、モノを粗末にする生活をしていることか。私達の生活は彼らの憧れる暮らしであるかもしれないが、彼らの手本となる暮らしではない。タワ・ファル村では我々のひ弱さ、軟弱さを意識させられた。彼等の持っている逞しさというか、人間的底力の強さを我々は失ってしまったのだろうか。今一度、自分自身がどの位耐えられものか知る必要があろう。そして、時々は、人間も自然循環系の中で生かされている生物の一種であることを自覚して、ヒトが生きるうえで必要最小限のモノは何かをよく考え、出来るだけ余分なモノを持たないよう心掛けなければならない。また、今享受している文明の恩恵に、どこまでも頼りきっていいものではない。サヘルの村で改めて、ヒトも自然の中では謙虚に生きなければならないことを教えられた。
平成10年11月9日(月)開催「市民公開講座」テキストより転載
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